愛されメイク?モテコーデ?を見て男性が感じる「そこじゃない」感
仕事柄、割と女性誌を読むことがあるんですけども、どのファッション誌にも「愛されなんちゃら・モテなんちゃら」の特集が組まれているのを見ると、「いや、そういうのは別に欲してないんだけど」を首を傾げてしまいます。
これは自分がおかしいのかと思って、周囲の男性10人ぐらいに聞いてみたところ、やはり「え、今、女性ってこんな細かい努力してるの!?こんなこと気にしたことないけど」という声が10人中10人の回答でした。
もちろん、類は友を呼びますので、僕の周りがそのような価値観の人間が多い、という傾向がある可能性がありますが、おそらく多くの男性の感覚に近いものではないかなと思います。
writer:川口美樹ファッションやメイクは減点はあるものの加点は少ない女性のファッションやメイクについて、何人かの男性に意見を求めると総じて返ってくるのは、「すっぴんとメイク顔のギャップが激しすぎるとがっかりする」とか、「TPOや年相応じゃない服装にはひく」という意見。
逆に「これは良かった、高く評価したと思うメイクやコーデは?」と聞いても、「・・・」と誰も答えられない。
(ファッション関係や美容関係に勤めている男性は除く)つまり、多くの男性は「減点ポイント」にはうるさいですが、「加点ポイント」にはことごとく無頓着なのです。
もちろん、「薄めのチークが入っていた方が可愛い」とか「ぷっくりした唇が好き」というのは確かにありますが、別にそれでその人の評価が上がるかというと、そうでもないのが本音です。
誤解を恐れずに言えば、有れば嬉しいけどないなら別に構わない、程度のものです。
だからこそ、愛されメイクやモテコーデという言葉に、「別にそこまで気にしたことないけど」と違和感を覚えるのです。
(まともな)男性が見てるのは品性では、男性が見てるのはどこかというと、これはすでに付き合っている女性に対しても言えることなのですが、一言で言えば「品性」という言葉に集約されるでしょうか。
これは男性に限った話ではないと思いますが、特に男性は自分の恋人が「だらしない、無知な、空気を読めない、パートナー」と周囲に認識されることをものすごく嫌います。
別にプライベートな空間でだらしなくしている分には構わないし、二人きりの時はバカっぷり全開でも良いのですが、「公の場に出した時に恥ずかしい彼女ではあって欲しくない」という思いが強いんです。
ですから「愛され」や「モテ」を目指した装いよりも、「清潔」であり「知的」である装いを目指した方が好感度は高いです。
「愛されること」を目標にしないでほしい恋愛コラムニストとして強く危惧しているのは、そういったメディアの「何かにつけて愛され女子になろう」マウンティングを浴び続けることによって、世の中の女性が文字通り「愛されること」を目指してしまうということ。
愛されることを目的にすると、ビックリするぐらい愛されなくなります。
なぜなら自分が愛することがおざなりになるからです。
相手からどうしたら好意的に見られるのか?という意識でメイクやファッションを気にしすぎてしまうと、相手を気にしているようで実はベクトルが自分にしか向かなくなってしまうのです。
女性にとってのメイクやファッションが「必ずしも男性に向けたものではない」ということは理解しているつもりです。
その場合であっても「かわいく見られるための」ものよりも、「不快感を与えないための」ものを目指した方が、巡り巡って「愛されること」に繋がると思えてならないのです。
(川口美樹/ライター)(ハウコレ編集部)