恋愛という「何が起こるかわからない」フィールドで勝つには論理武装が必要!
恋愛という非論理のフィールドでは論理が通用しないシーンをよく見かけます。
「好きになってはいけないとわかっていたけど付き合ってしまった」「後から考えてみれば彼のほうがおかしかったことは明白だけど、あの時はなぜか自分のほうが間違っていると思い込んでしまった」「もう嫌というほど辛い経験をしているのに、また同じような相手を引き寄せてしまう」まるで、物理攻撃がまったく効かない特殊な敵になんども正拳突きを繰り返すRPGの主人公よろしく、論理という武器をぶん回して正体の見えない敵に空振りし続ける人のいかに多いことか。
writer:川口美樹model:佐々木みう必要なのは徹底した自己分析である僕は幸か不幸か、恋愛というフィールドで苦しい思いをしたことがほとんどありません。
理想のパートナーとも、知り合って3ヶ月でお付き合いを開始し、そこから一年後に結婚となりました。
結婚を自慢するつもりは微塵もないのですが、「希望の相手と出会い、障害らしい障害もなくトントンと結ばれた」ことにおいては、自分がなぜそうできたのか?について明確な根拠を持っています。
それは、僕自身が僕という人間を誰よりも理解し、客観視できていたからです。
自分は何を大切にしている人間で何を好み、どんな人を尊敬し(また逆に毛嫌いし)、どんな価値観を持っており、自分に合う人はどういう人なのか、事前に知っていました。
だからこそ、今の奥さんに出会ったときに瞬間的に「この人だな」という予想がついたし、逆に別の人に会ったときにも「魅力的だとは思うけどこの人ではない」という判断もついたので、自分の心をすり減らすような恋愛をせずに済みました。
これは何も自分の成功事例を誇示したいから言っているのではありません。
『妖怪男ウォッチ』で有名なぱぷりこさんも、『オクテ女子のための恋愛基礎講座』でおなじみのアルテイシアさんも、その他多くの人気作家さんたちが口を揃えて「理想の人と結ばれたないなら己の好き嫌いや価値観を可視化せよ」とおっしゃっているのです。
なぜ恋愛に自己分析が必要なのか?自己分析をするメリットを挙げればキリがありませんが、恋愛においては自分に合う合わないを瞬時に仕分けできるようになることが一番のメリットでしょうか。
自分の好き嫌いが分かっている人は、一般的にダメ男と言われている男のダメなところがなぜダメなのか自分なりに説明できます。
ですからそのダメ男たちがいかにダメ要素を隠しながら魅力的なアプローチを仕掛けても、「ハイハイ、あんたの本性はお見通しよ」とスルーすることができます。
しかし、自分の価値観が曖昧な人はダメ男の隠しているダメ要素を見抜くことができず、表面上の優しさに騙されてしまうのです。
なぜなら「なぜ彼がダメなのか?」を自分で自分に説明ができないからです。
僕はよく恋人は企業の採用と似ていると言っていますが、「どういう人材が欲しいのか」を明確に知っている企業は、「それに適さない人材を書類選考で落とすことができ」るのです。
会う必要すらありません。
逆に、自分にドンピシャな人材が現れたときにチャンスを逃さずガッと捕まえることができます。
一見魅力的な人に見えなくても、「私に合う人はこういう人よ」というアンテナがビンビンに反応し、見逃しを許してくれないのです。
ビジネスの世界ではチャンスの女神は前髪しか生えていないと言われますが、それは恋愛においても同じこと。
「準備しているやつにしかチャンスは掴めないようにできている」のです。
恋愛という戦場を生き抜くために論理を武装せよ冒頭で空振りしまくっている人の話を書きましたが、彼女(彼)らは自分が何者なのかを知らないがゆえに敵の本当の姿を明確に捉えることができません。
なぜ自分の理想と現実がこんなにも乖離しているのかがわからないまま走り出してしまうので、論理(と呼ぶには脆弱すぎる論理)が感情に振り回されて、その都度心をすり減らしてしまうことになるのです。
『孫子・謀攻』に「彼を知り己を知れば百戦殆からず」という言葉があります。
敵軍と自軍の状態を熟知していれば百戦負けなしだ、ということを意味する格言ですが、実はこの格言には続きがあるのです。
「彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。
彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し」つまり「自分を知っただけで、敵を知らなければ勝ったり負けたりする。
敵を知らず自分も知らなければ、必ず負ける」ということです。
だからこそ、自分が何者であるか?という論理武装をせずして、恋愛という非論理の戦場を生き抜くことはできないのです。
(川口美樹/ライター)(ハウコレ編集部)