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松岡修造、現役時代から“応援団長”だった 女子選手の部屋にも入れた無双ぶり

7月15日放送、テレビ朝日系『ビートたけしのスポーツ大将』2時間スペシャルに出演する元テニスプレーヤーの松岡修造(C)テレビ朝日スポーツキャスターの松岡修造が、15日に放送されるテレビ朝日系『ビートたけしのスポーツ大将』2時間スペシャル(後6:57~8:54)に“レジェンドゲスト”として出演。

オリンピックの選手村で、男子禁制の女子選手の部屋にも入室を許されていた無双ぶりが明らかになる。

この日の2時間SPは、「名場面&秘蔵映像!あの時実は〇〇だったSP」と題し、数々の金字塔を打ち立ててきたレジェンドアスリートが登場。

彼らの名場面や秘蔵映像を見ながら、その映像に秘められた知られざる事実をレジェンドから語ってもらう特別編を放送。

以前、「テニス対決」のスタジオ解説として同番組に初出演した際、ビートたけしとの“初絡み”に緊張しつつも、対決VTRに向かって「何やってんだ!」と檄(げき)を飛ばし、たけしらの笑いを誘った松岡。

今回はテニス界のレジェンドとして登場する。

1995年のウィンブルドンでは日本男子62年ぶりのベスト8に進出。

とにかく前向きな熱い男として知られる松岡は、同大会でベスト8を決めた一戦でも激しい言葉で自らを鼓舞し、力強いショットを打ち込んでいた。

ところが、松岡本人に言わせると自身は“熱い男”ではなかったとか。

テニスプレーヤー松岡の真実が本人によって明らかにされる。

たけしやナインティナインはもちろん、誰もが驚く松岡修造の真実とは?現在はJOC(日本オリンピック委員会)も認める日本代表応援団長でもある松岡。

本人もソウル、バルセロナ、アトランタと、3回のオリンピックに選手として出場しているが、バルセロナ大会にバドミントン代表として出場した陣内貴美子によると、当時の松岡は「とにかく選手村のどこにでも現れる」人だったそう。

さらに「大きな声で歌を歌いながら選手村に帰ってくるんです。

だから他の競技の選手たちも(歌声を聴いて)『松岡修造が帰ってきたよ』と言っていました(笑)」と、かなり目立っていたことを明かす。

「私は松岡修造ネタを日本で一番持っている」と自負するのは、ソウル、バルセロナ、アトランタと3大会に松岡とともに出場したバレーボールの大林素子。

「皆さんが今、知っている“応援するおじさん”の修造くんは選手時代から同じ。

女子バレーの応援にも来てくれて、バルセロナの試合ではアウェーなのに日本の応援が盛り上がっているな、とスタンドを見たら、修造くんが旗を持って走り回っていました」。

現役時代から“応援団長”をしていたことについて松岡は「僕はオリンピックは全て1回戦で負けていたので応援しかないんです!日本選手の選手名鑑を全て把握していて、選手の顔を見ただけで、どの競技かも含めて全部わかっていました」と、まさに応援団長として当時から“半端なかった”よう。

その“半端ない”熱さがヒートアップしたのがアトランタ大会。

当時、松岡は日本の女子バレーが「もっとできる!」と感じていたそうで、大林によると「男子禁制の選手部屋に男子コーチ以外で唯一入って来た」のが松岡だった。

「彼が部屋に入ることは認められいて、(選手を)指導したり、一緒に食事をしたり、ミーティングにも参加していました」と、松岡の無双ぶりを証言する。

現役時代の活躍だけではなく、オリンピック選手村での熱血応援の“真実”が赤裸々に語られることになった松岡。

しかし、こんな熱い男も実は〇〇だった!という意外な事実や、世界で活躍する錦織圭との秘められた絆も明らかになる。

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