「できません」が言えなかった私が、移植経験をSNSに投稿して気づいたこと
目次・気合でなんでも乗り越えられると思っていた・いつの間にか先を行く姉、必要とされない喪失感・心のしこりをとってくれた医師の言葉・できない自分も、まるごと愛する中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になってしまった、ライターのもろずみはるかさん。
選択肢は人工透析か移植手術という中で、健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。
今回は、「できない」と打ち明けられるようになった、気持ちの変化についてつづっていただきました。
気合でなんでも乗り越えられると思っていた夫婦間移植を決断する少し前のことです。
あの頃の私は、自分を見失ったように仕事をしていました。
刻一刻と、自分の腎機能が失われていくのを感じつつも、気合と根性があれば、どんなことでも乗り切れると信じたかったのです。
しかし、気持ちだけではどうにもならないと思い知るのにそう時間はかかりませんでした。
昨年の夏、私はある雑誌のお仕事で、育休体験記を担当することになりました。
自分と違う生き方をしている人たちの話を聞くことができるのは取材の醍醐味の一つ。
同世代で活躍するワーママさんたちの話は、驚きと感動の連続でした。
しかし、6人分の取材を重ねる中で、私の体調の不安定さから迷惑をかけてしまうことがありました。
同じ質問を繰り返してしまい、「その質問には先ほどお答えしたと思うのですが…」… : と戸惑わせてしまったのです。
録音したデータを聞けば、ひどい…>>12345>>この記事が気に入ったら、こちらもチェック!今ならなんと初回20%off!「子ども服」をおトクに手に入れるには?定価で買うにはちょっと手がでないブランド服から普段着まで! いろいろ揃ってます。
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