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“クイーンブーム”けん引した編集者語る「フレディとの別れ」

(C)KohHasebe/ShinkoMusicArchives世界トップ10に入る総売上げを誇り、今なお第一線で活躍するバンド・クイーン。

じつは欧米で売れるより前に、日本で人気に火がついた。

「アメリカのレコード会社から“QUEEN”とスタンプが押されただけのテスト盤が『ミュージック・ライフ』編集部に届いて、聴いてみたらめちゃくちゃカッコよかったんです。

その後、プロモーションフィルムを見てみると、フレディ(マーキュリー)が黒いスパンコールに白鷺ルックで、これは雑誌的にも絵になると。

悪趣味一歩手前なところがおもしろいと思いましたね」(東郷さん・以下同)’73年のデビュー時からクイーンを猛プッシュしていたのが、日本のロック誌『ミュージック・ライフ』(以下、『ML』)だった。

当時、編集スタッフ(後に編集長)を務めていた東郷かおる子さんは、日本での“クイーンブーム”をけん引した立役者の1人だ。

’75年4月、クイーンは待望の初来日を果たす。

羽田空港には3,000人のファンが詰めかけ、その姿をマスコミも大々的に報じた。

コンサートは、東京、大阪、名古屋など、7都市8公演。

… : チケットはすべて完売し、武道館の追加公演も行われた。

『ML…>>1234>>この記事が気に入ったら、こちらもチェック!秋の豪華プレゼントキャンペーン!スキンケアグッズ・お食事券など合計12名様にプレゼント関連リンクフレディ・マーキュリーの最期の苦しみ、ブライアン・メイが明かすフレディ・マーキュリー、「星」になる──1991年発見の小惑星の名に岩崎恭子不倫謝罪に意外な反応「ここまで潔いのは久しぶり」

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