劇団四季の創設者・浅利慶太さん死去 85歳 日本のミュージカル文化定着に尽力
劇団四季の創設者・浅利慶太さん劇団四季創立メンバーの一人で、劇団代表を務めた演出家・浅利慶太(あさり・けいた)さんが13日午後5時33分、悪性リンパ腫のため85歳で亡くなった。
18日、劇団の公式サイトが伝えた。
「劇団四季創立メンバーの一人、演出家で元劇団代表の浅利慶太が、2018年7月13日(金)17時33分、悪性リンパ腫により、都内病院で逝去いたしましたのでお知らせ申し上げます。
享年85歳でした」と掲載。
葬儀は親族のみで執り行い、後日、お別れの会を実施するとしている。
詳細は後日、同サイトで発表される。
浅利さんは慶應義塾大学文学部仏文学科在学中の1953年に、日下武史さんら10名で劇団四季を創立。
以来、劇団代表・演出家として、ストレートプレイからミュージカルまで、ほぼ全作品のプロデュースや演出を手掛けてきた。
『ウェストサイド物語』『コーラスライン』『ライオンキング』などの海外作品翻訳上演、『夢から醒めた夢』『ユタと不思議な仲間たち』「昭和の歴史三部作(『ミュージカル李香蘭』/『ミュージカル異国の丘』/『ミュージカル南十字星』)」などのオリジナルミュージカルを手掛け、日本にミュージカル文化を定着させた功績は大きい。
また、1983年初演の『キャッツ』では、日本初となるロングラン公演を成功させるなど、日本演劇の興行形態にも革新をもたらした。
2014年に劇団代表職を退いてからは、活動の拠点を、現在の浅利演出事務所へと移し、『浅利慶太プロデュース公演』として、計12公演の演出を手掛けた。
紀伊国屋演劇賞、菊池寛賞、読売演劇大賞、ドイツ連邦共和国一等功労勲章、イタリア・アッビアーティ賞、中国政府友誼賞他、国内外での受賞多数。
演劇界に真の意味でのプロフェッショナリズムを確立し、数多くの俳優、スタッフを発掘、育成した成果は、日本の劇場文化を大きく発展させた。
サイトでは最後に「劇団四季のメンバーにとっても、常に精神的支柱であり続けました。
劇団員一同、心より感謝と哀悼の意を表し、安らかな眠りをお祈り申し上げます」と追悼している。
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