故・加藤剛さん、絶賛される生き様と“焼かない焼きそば”に大興奮のおちゃめな素顔
加藤剛さん(享年80)「見つけにくい病気で、今年の3月に判明したばかり。
2月までは元気に仕事をしていたんです。
だから、こんなに早く逝ってしまうとは思いませんでした……」そう語るのは、加藤剛さん(享年80)の長男・夏原諒(43)。
加藤さんは6月18日に胆のうがんで亡くなっていたことがわかった。
葬儀は家族だけで行ったという。
「父は目立ったことが好きではなく、家族葬にしてほしいという意向だったんです。
病気がわかってからも弱音を吐くことはなく、微笑むように逝きました。
息子の僕が言うのもなんですが、心から尊敬できる人でした」(諒)■皆が絶賛する「デキる男」ぶり加藤さんは早稲田大学在学中の’60年に俳優座の養成所に入団。
’62年に放送された『人間の條件』(TBS系)の主人公役で注目された。
「’70年からは約30年にわたり『大岡越前』(TBS系)で主演を務め、国民的スターになりました。
私生活では’68年に女優の伊藤牧子さんと結婚。
長男の諒さんと次男の加藤頼さんの2人の子どもは、いずれも俳優の道を歩んでいます。
’01年に紫綬褒章、’08年には旭日小綬章を受章しています」(スポーツ紙記者)’74年に公開された映画『砂の器』では、暗い過去に苦悩して殺人を犯す天才作曲家の役を演じ切った。
そのときに宣伝を担当していたのが、芸能レポーターの石川敏男氏である。
「僕は当時、宣伝部の助手だったので、宣伝のキャンペーンをお願いすることが多かったんです。
10歳も年下の僕に対して、何でも“はい、はい”と聞いてくれましたね。
決してイヤだとは言いませんでした。
どんなに忙しくても、きちんと人の話を聞く方でしたよ」加藤さんは、自宅からふらりと散歩に出ることが多かったらしい。
「挨拶するといつも笑顔で応えてくれるステキな方でした。
最後に見たのは3~4年くらい前でしょうか。
息子さんと2人で歩いていましたね。
元気そうに見えましたけど、すごくやせていたのを覚えています」(近隣住民)酒もタバコもやらなかった加藤さんだが、近所の寿司店『H』にはよく顔を出した。
「10年くらい前は、月に2~3回ほどご家族で来られていましたね。
早い時間に来て、お酒は全然飲んでいませんでした。
最近はお店に来ていませんでしたが、ときどき出前を取ることがあって、そのときは必ず鉄火丼を注文してくれました」(『H』の店主)■「父は大岡越前そのものでした」庶民的で、誰にでも分け隔てなく接した。
長男の諒も、優しい父親だったと話す。
「声を荒らげて怒ったことは1度もありません。
いい俳優になるということよりも、“人間として上質であること”、“人間として美しい生き方をすること”、“人に恥じない生き方をすること”を常に優先していたんじゃないかと思います。
あれだけ嘘がない人はいないですね。
人の悪口を言ったことは1度もなく、常にいい部分を見ていました。
だから僕も怒られたことがなかったのかもしれません」勧善懲悪を貫いた大岡越前の人間性が、加藤さん本人に重なって見える。
「自分のやっていることと役のキャラクターが見事に一致した稀有な例ですよね。
いい人の役をやっている人が、本当にいい人とは限らない世界ですから。
父は大岡越前そのものでしたよ」(諒)休みの日には、家族と過ごすことが多かった。
「家族でいる時間をとても大切にしていて、一緒に遊んでくれました。
肩車をして家の中を回ってくれたり、庭でかけっこをしたり。
京都で撮影があっても週末には必ず帰ってきましたね。
私が3歳のときにコーヒーミルクのCMに出ていました。
日本の各地に行ってコーヒーを飲むというCMで、北海道の撮影についていったことがあります。
そのときの記憶はまだ残っていますよ」(諒)諒が成人した後も、加藤さんが訪ねてくることがあったという。
「10数年前に独立してひとり暮らしをしていたときに、父がやってきました。
普段は買い物をしない人なのに、スーパーの袋をぶら下げていたんです。
どうしたのか聞くと、“めずらしいものがあったから買ってきたよ”と。
何だろうと思って開けてみたら、ペヤングのカップ焼きそばが入っていました。
“これは焼かないのに焼きそばができるらしいんだ。
おもしろいからちょっと一緒に食ってみよう”と言うんです。
“めずらしくないよ”とは言いにくくて、“ああ、そうなんだね”と2人でしみじみと食べましたね(笑)」(諒)二枚目で、非の打ちどころがないイメージの強い加藤さんだったが、お茶目な一面もあったようだ。
■父のおかげで初心を忘れずにいられるただ、仕事に関しては、人に影響を与えることも多かった。
加藤さんと同じ事務所に所属し、現在も俳優として活躍している次男の頼(38)も彼の影響を受けたうちのひとりだ。
「父は家で稽古をすることもあったので、子守歌がわりに、その光景を目や耳で触れていました。
幸せなことに父と同じ劇団に入ったので、親子の役や同一人物の若いころの役と現在の役を2人で分けて演じることもできました。
仕事を始めた当初は、父に似ていると言われることがイヤだったこともありました。
でも、どうせ同じ職業に就くなら、同じところで挑戦したいという思いがあったんですよ」親子で共演し、父の背中を間近で見たことで学ぶことも多かったという。
「実績に満足してしまって、向上心がなくなってしまう人が多い中、常に自分のやっていることに疑問を持ち続け、今日よりも明日をもっとよくしようと努力していました。
そのおかげで、私も今日まで初心を忘れずにいられましたね。
父は、私に本番や稽古のときも、一緒に舞台を成功させるための役者仲間として接してくれました。
アドバイスをするときも、後輩で息子である私が相手でも、上からああしろ、こうしろと言うことはありませんでした」(頼)諒も、父親から受け取った言葉を心に刻んでいるという。
「父はいつも、“人のために涙を流せる人間になりなさい”と言っていました。
俳優としての実績では比較になりませんが、この部分は引き継いでいきたいですね」加藤さんは、自分の教えを引き継いだ2人の息子がさらに成長していくことを願っているだろう。
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