ハウレコ

「1万円」で目の前の幸せに気づいたリカ#終わらない恋のはじめ方

子供を抱き、タワーマンションの窓から見下ろす視線の先にはどんな景色が広がっているのだろう。

東京で働くOLなら一度は憧れたことがあるような、典型的な幸せをリカは24歳にして手に入れた。

商社マンの旦那と一人娘。

都会での3人暮らし。

生活の一部を切り取るだけで自然に“映え”る生活。

たまたま勝ち組ルートに乗れてラッキーな人生だとまわりからは思われているが、本当は違う。

writer:エミチャンカパーナ リカは就職活動のときから、絶対にハイスぺ婚をすると心に決めていた。

別に過去に強いコンプレックスがあるとか、モテなかったゆえの意地とか、いかにもスマホ漫画の広告に出てきそうな女の醜さを持ち合わせているわけではない。

ルックスが良く、学校の勉強が嫌いだったリカは、自分はなにを努力すれば生き残れるか冷静に判断していたのだ。

アラサー女子が婚活に焦りだすもう何年も前からリカは自分の市場感を把握し、しかるべき努力をしていた。

受付嬢として就職し、毎日笑顔で社員を見定める。

複数の男性からちやほやされるのは楽しかったが、そこに甘んじることはなく、自分の幸せは自分で掴みに行っていた。

たまたま見かけた顔がタイプだった今の旦那とは、同期や、リカの取り巻きの社内男子のツテを使ってリカの方から合コンを開催した。

ちょっと泥臭い恋愛の努力も、時が過ぎればいずれ笑い話になる。

行動がマイナスにはたらくことなどないのだ。

自分の努力で手に入れた幸せにリカは心から満足していた。

まだ0歳の娘も愛おしい。

だけど、幸せを噛み締めるよりも、今日も一日娘を守り抜かなければならないという大きな任務を背負わされているような気がしてしまう。

臨戦態勢、という言葉がしっくりくる。

毎日見えない敵と戦っている気分。

娘は母親がいないとなにもできないし、ふいに気を抜いて目を離すとどこかに頭をぶつけたり、窓から落ちたり、死んでしまうかもしれない。

育児の背後には常に死の恐怖がまとう。

そんなことをちょっとでも想像するとゾッとして涙が出そうになる。

それほど、娘を第一に考えている。

都会の地上数十メートルで、娘とふたりきり。

窓から見下ろした視線の先には、働く女性や友達とランチに並ぶ女性、歩きスマホで歩く女性、高いヒールをはいて彼氏とデートをする女性…。

自分もあの景色の一部だったはずなのに、全く違う世界に娘と取り残されてしまったのか。

 今日はリカにとって外の世界の住人である、美里が訪問してくる日。

美里は受付嬢時代の同期で、よく2人で合コンしたり、ナンパされにいったり、恋バナしたり。

仕事の同期なのに、恋愛話を多くしていたよき遊び仲間だ。

「久しぶり~!うわ、大きくなったねー!赤ちゃんってこんなにすぐ大きくなるんだ!リカに似て美人じゃん!将来有望だね!ママに感謝しなよ~!」半年以上ぶりの再会だが、いまでも美里は底抜けに明るく調子がいい。

発言に計算のないさっぱりとした性格だ。

「久しぶり!早く上がって上がって!」30分前に急いで化粧をして髪の毛はとりあえず結んだ状態という、ちょっと不本意な姿でリカは家を案内する。

美里の性格上そんなことを思っているはずないことも知っているが、リカには美里の髪の毛も化粧も洋服もすべてがキラキラして見えて、自分のみすぼらしさが恥ずかしくなる。

女としての敗北感…友達にこんなことを感じてしまう自分に嫌気がさす。

「最近はどうなの?全然インスタ更新してくれないから生きてるのかもわかんないよー」リカが聞く。

専業主婦になってからのSNSは、完全に見る専だ。

「うーん変わらずかなあ。

まだまだ結婚の予定もないし、適当に遊んでるよ!リカともまた合コン行きたいな~!さすがにダメか(笑)」美里の言葉に悪気はない。

「まあね。

このまま私はママとして生きていくんだから。

もう引退です!」リカが言う。

「そりゃそうだ、旦那さんもイイ男だしね~!でもいつでも復帰待ってるからね!」美里の言葉にリカは苦笑いだ。

 「ところでさあ、最近のビッグニュースよ。

私、パパ活してて。

パパ活って知ってる?」美里が何気なく聞く。

「え!パパ活って援交じゃないの?」突然の話にリカのキャパはついていけない。

「まあそういう風に使ってる子もいるけど、私は食事だけ。

男の人と食事行って2万とかもらえるんだよ!うちの仕事、給料低いじゃん?副業感覚だよ!水商売より手軽だし、いろんな人に会えておもしろいよ~」美里はまるでパパ活していることが当たり前のように話す。

「へ~…なんかいろいろあるんだねえ。

危ない思いとかしないの?」リカの頭の中は疑問符でいっぱいだ。

外の世界はどうやらすごいことになっているらしい。

「一回もないよ!たまにホテル匂わせてくることもあるけど、そこは一回断ればしつこくないし。

リカも試しにやってみれば?今はアプリで出会えるし、主婦もこっそりやってるらしいよ。

ていうかリカならめちゃめちゃ稼げそう!」美里からの予想外の提案にリカはちょっと引いてしまった。

「え…ちょっと娘いるんだからさ!」リカが怒る素振りを見せると、美里は「ごめんごめん!」と笑顔で謝る。

美里はときどきとんでもないことを言い出すが、独身時代に、リカはそれをとんでもないことと思ったことはなかった。

つまり変わったのはリカの方、ということだ。

 その晩、リカは娘を寝かしつけた後、興味本位でパパ活について調べてしまった。

「パパ活をしている」と公言し、顔出しでテレビに出いてる女の子までいる。

どうやら思ったよりカジュアルなものらしい。

調べているうちにテンションが上がってきたリカは、美里が言っていたアプリにも試しに登録してみた。

するとすぐにメッセージが大量に届く。

通知音に気付いた娘が一度「ふんぎゃあ」と声を上げ、一瞬我に返るが、娘が再び寝付くとまたアプリを開いてしまう。

またメッセージが増えている。

相手は自分の年齢の2倍以上もありそうな年上だが、とは言え、久々にちやほやされることにちょっと楽しくなってきている自分がいる。

夜中のテンションは怖いな…と思いながらも、その中でも一番ダンディな見た目で『体の関係は求めてません』とプロフィールに書いてある男性と、試しにお茶をしてみることにした。

でも、なぜか手が止まらない。

もしかしたら不倫ってこういうテンションで始まるもの?と、わかりたくもない気持ちが少しわかった気がした。

 『Kenさん』というおじさんとは、ウエスティンホテルのラウンジで待ち合わせだった。

知らないおじさんと会うのに娘を実家に預け、久しぶりのヒールをはき、髪もサロンで巻いてもらった。

もちろん罪悪感はある。

特に娘を実家に預けて泣かれたときは、自分が最低な母親に感じた。

事実、最低な母親だろう。

でも実家の両親には『女友達とランチ』と伝えているから急にドタキャンするのも怪しまれる。

後ろ髪をひかれながら実家を出た。

しかし、自分のコスメと財布だけ入ったあまりにも小さなバックを持ってヒールで歩いているうちに、気分が良くなりテンションが上がってきた。

別におじさんと会うことが楽しみなのではなく、こうして自由にオシャレして歩いていることがもはや非日常的で楽しい。

リカは最高な気分でラウンジに到着した。

そこにいた『Kenさん』は、写真通りのダンディなおじさんで、不快感も全くない。

もちろん腕にはロレックス。

高そうな細身のスーツも着こなしている。

仕事は映像関係と言っており、今日のリカは受付嬢だ。

 姿勢よく、オーバーリアクション気味に、でも声は小さく相手の話に耳を傾ける。

リカ自身もびっくりしたが、初対面の男性の前では自然とこれができてしまう。

思い返せば、いままで何度合コンや飲み会をこなしてきたか。

旦那だって、リカの戦略勝ち。

自分の中の枯れていない女の部分に気が付いたリカは、ただただ嬉しかった。

最初は知らないおじさんと、自分を隠しながらの会話なんて間が持つか心配したが、あっという間に時間は過ぎて行った。

1時間経ったところでKenさんが、さりげなく1万円を渡してくれた。

本当にこれだけでお金がもらえるんだ…とリカはびっくりする。

これで稼げるなら自分の中の女を確認するためにも、たまにはいいかもと思った。

リカはお礼を言い、席を立とうとするとKenさんに呼び止められた。

「リカちゃんすごくかわいいし、今後も会いたいな。

今度は大人の関係でどうかな?3万円は必ず出すけど、欲しい額があったら言ってね」突然の提案にリカは我に返る。

そうだ、これはデートでもなんでもなくてパパ活。

数分前まで素敵なおじさんと思っていた人が急に気持ち悪く見え、こんなことに浮ついていた自分へ激しく嫌悪感を抱いた。

はっきりと断り、足早に席を外した。

 自分は何てことをしてしまったのだろう…。

いい大人がお金を払ってお茶だけなわけがない。

1万円を受け取ってしまった後ろめたさも残る。

帰り道、こんなお金早く使ってしまおうと三越に寄るが、気になるのは自分のコスメでも洋服でもなく子供服ばかり。

そのとき、LINEの通知が鳴る。

少しドキッとしてしまう。

「最近帰り遅くてごめんね。

週末、子供預けて二人でゆっくりデートしない?」見てみると旦那からだった。

先ほどまでの暗い気持ちが一瞬で飛んで行ってしまった。

リカもつくづく調子が良い。

旦那には即レスをし、心の中ではこっそり謝罪した。

比べるのも悪いが、知らないおじさんの前で女になるよりも、旦那とのデートの方が数億倍テンションが上がる。

好きな人がいるって、こんなに幸せなんだ。

リカは目の前の幸せをおざなりにしていた自分を心の中で叱った。

家族カードで旦那とのデート用に新作のリップを1本買った。

Kenさんの1万円は帰り道に駅前の街頭募金に入れてきた。

今日はパパ活ではなく、恵まれない子供を救った日だ。

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