なぜ女性は「愛するよりも愛される方が幸せになれる」のか?
KinKiKidsは「愛されるよりも愛したい真剣(マジ)で」と歌い、松田聖子は「淋しいの 淋しいの愛されたいの」と歌いました。
僕は愛は「する」ものでも「される」ものでもないと思っている人間なのですが、恋愛相談に乗っていると「愛される」のが苦手な女性って本当に多いんだなぁ、とつくづく感じます。
とどのつまり、愛するって、愛されるって、どういうことなんでしょうか?愛した方がいいのでしょうか、それとも愛された方がいいのでしょうか?今回はそんなテーマに迫りたいと思います。
writer:川口美樹女性は愛されるのが苦手?一般的に、男性よりも女性の方が「愛する」傾向が強いと言われています。
それがいわゆる母性本能からくるものなのかはわかりませんが、その献身的な姿勢は時に「報われない一方的な愛情」を生み出してしまい、愛することに疲れてしまう人もいるようです。
この「一方的な愛情」が生まれる原因は、もちろん男性側にもあるのですが、女性側にあることもあります。
それは、女性が「愛を受け取るのが苦手だと感じている」というものです。
特に家族関係の悪い家庭で育った人は、自分が愛されるにふさわしい人間である、という自信が持てていないため、彼から注がれているせっかくの愛情を信じられなかったり、無意識に拒絶したりしてしまうのです。
愛するよりも愛される方が難しい愛されることが苦手な女性は、自分で他人からの愛を避けておきながら、心の穴を「言葉」や「モノ」で補おうとしてしまいます。
だから「好きだ」という言葉を欲しがったり、「サプライズのプレゼント」に愛を感じたりするわけです。
「ついつい自分を他の人と比べてしまう」人は、特にこの傾向が強いです。
自分の中に「絶対的な基準」を作れないために、「言葉やモノ」に頼らないと、自分に価値があると感じられないのです。
「誰かと比較した自分」ではなく「今、この瞬間の自分」を認められない限り、いつまでも自分にマルを出してあげることができず、愛を受け取ることができません。
そう考えると現代は、愛することよりも愛されることの方が、難易度が上がっているように思えてなりません。
愛の循環は「受け取る」ことから始まる名ピッチャーの影に名キャッチャーがいるように、愛も投げる側とキャッチする側のバッテリーが組めて初めて成立します。
ピッチャーがどんなに素晴らしいコントロールで球を投げても、キャッチャーがその球を取れなければ意味がありません。
その球をしっかりと受け取るためには、「自分は愛されていい人間なんだ」としっかり自覚することが大事です。
その自覚があれば、彼(や周囲の人間)がさりげなく投げてくれている愛情に気づき、キャッチし、そのボールを彼に返してあげられるようになるのです。
愛をきちんと受け止められるようになれば、もともと愛するのが得意だった人なら、愛が二人の間で自然と循環するようになるのです。
そういう意味で、女性は愛するよりも愛された方が、結果的に幸せになるのかもしれないっと思った次第です。
愛は「する」ものでも「される」ものでもないところで、Mr.Childrenは「愛はきっと奪うでも与えるでもなくて気がつけばそこにあるもの」だと歌っています。
僕は、この歌詞がとても好きで、自分の愛情についての指針にしています。
「愛する」のでも「愛される」のでもなく、ただそこに愛が「ある」状態。
そんな状態が理想だなって思います。
「女性は愛された方が幸せになる」なんて銘打っていますが、最終的にはあなたと彼の間に、ただそこに「ある」だけの愛が作られたらいいなぁと思います。
「愛する必要も愛される必要もないのに、愛をしっかり感じられる」そんな関係って素敵だと思いませんか?(川口美樹/ライター)(ハウコレ編集部)